加藤改石 本場牛首紬 訪問着(d-74)



「生成り、クリーム、紬着物」
牛首紬の産地の白峰村は豪雪地帯で明治初期までは牛首村と呼ばれていました。
耕地の少なさから村人は養蚕を行い着物用の生糸を生産して暮らしていたといいます。
そして雪に閉ざされる冬の仕事に当時は価値の無かった玉繭(2匹の蚕が1つの繭を作った物、繭の生産量の2,3%程度しかできない)を使って細々と紬を織っていた。
しかし、300年ほど前に玉繭によって出来る節と独特の光沢が一般的に評価され世に広まりました。
玉繭から糸を引くのは糸が絡まり難しく大変高度な技術を必要とし、またそれによって織られる着物は丈夫で釘をも引き抜く事から別名で「釘貫紬」とも呼ばれます。
牛首紬は大島紬、結城紬と並び日本の紬の最高峰と言われる着物です。